柳の枝に雪折れなし

以前、友人に言われた言葉がずっと私の支えになっている   柳の枝に雪折れなし 「柔軟なものは、強堅なものよりかえって物事によく耐え忍ぶものである」   私は、体の柔軟性がありすぎて、怪我ばかりしていた。 本当の柔軟というのは、芯の強さのある柔軟さ。 昔の私の踊りは、芯がなく、止まることができず、筋肉もなく。。。 なんど、転んだか。 なんど、痛めたか。 なんど、歩けなくなったか。   今は、少し進歩したと思う。 芯ができると、体がオフバランスの体制でもバランスがとれるようになる。 次の動きに入るためのプレパレーションが的確にとれるようになる。 回転がしやすくなる。   この進歩とともに、精神的な変化も起きている。 昔の知り合いに久しぶりに会うと、強くなったねと言われる。   内面からアプローチする自分との向き合い 外側からアプローチする自分との向き合い   ダンスという方法で、外側からのアプローチによって、自分と対話する。 成長する。   気付きとは、ありがたいギフトですね。 Masha

リズムとメロディー

ダンスと一言で言ってもいろいろ。 ダンサーによって、大切にしていることも全く違う。   あるダンサーは言う 「ダンスっていうのは、何かを表現するものではなく、リズムを感じるものだ!」 あるダンサーは言う 「見えない感情を表すものがダンスだ!」 あるダンサーは言う 「その時に感じたものを表現するだけだ!」   どれでもでもいいと思う。 どれも正解だと思う。   と、決めつけるのが嫌いな私は、そう思う。 そして、わたしは、それぞれの意見にあてはまる踊りに携わってもいる。   西洋音楽とインド音楽の違いから生まれる発想もあると思う。   一定の安定した、リズムの中にメロディーがあるのが一般的な西洋音楽。 それに対して、インド音楽の一般的なのは、一定のメロディーがあり、リズムが遊ぶ。 もちろん、それぞれその逆もある。   そして、 インド音楽は、最後の節で終わらない。 まるで、円を描くようにずっとループしている。 インド音楽の終わりは、最初の音で終わる。 最初で終わるということは、最後であり次の最初である。 つまり、終わりがない。   輪廻転生の哲学とも繋がる。 この世に正解と不正解はあるのだろうか。 でも、一定の導きや枠が無いとずれていくのも確かだものね。   だから、「師」が存在するのですね。 人それぞれにあった「師」に出会える。 その「師」とは、目の前の人かもしれないね。 Masha  

言葉の苦手意識が踊り続ける理由

私は、自分のクラスの時、私が一番楽しんでいる気がする。 楽しくて仕方ない。 ただ、楽しい。そして、みんなの笑い声が楽しい。 最高の幸せ。   でも、言葉を発するのが苦痛な時がある。 出てくるのは、擬音だけ。 左右・肘と膝・肩甲骨と鎖骨、間違えたことないクラスは、ハナマル!笑 そして、説明が言葉でできず、最終的にはわたしの体を触ってもらうしかない。 気の毒な生徒さん。   昔、自分でかいた詩のなかによく、言葉に対する気持ちが書いてあったのを思い出した。   言葉はいらない。言葉なくても通じる魔法がほしい。だったかな? どれだけの言葉に傷つきどれだけの言葉に泣いただろう。とか?? この思いを表す言葉がない。とかかな?   でも、言葉に対してのいろんな感情があるからこそ、言葉の重要さも理解している。 それを埋めたい。   だから、踊っているんだろうなぁ。 笑いながら踊る時が幸せ。 涙がでるほど苦しい時、踊ると幸せの涙に変わる。 表せない「言葉」がある。これが踊り続けている一つの理由。   そして、私は、本当は歌い手さんになりたかった。 でも、音痴。 ダンスクラスの時、課題曲を口ずさむと笑われる。 曲を流すと、「そういう曲だったんですね。」と言われる。笑 そのくらい、音痴ってことです!笑   だからこそ、歌のある曲を踊る時、とっても感情移入しやすい! 歌いたくて仕方ないから、歌い手さんの気持ちで踊れる。 歌い手さんの気持ちになって踊るのが幸せ。 歌、これも言葉だね。   もちろん、踊り方にもよるけれど、、、 私は、何時間でも踊っていたい。 踊っているなかに私の心の休憩がある。   言葉として発するのでなく、ダンスと会話しているんだろうね。。。 Masha

アメリカ公演での気付き その3

「わたしであること」   わたしは、振り覚えが悪いです! その場で振り付け師が踊ったものを真似するのは、早い方です。 これは勝手に体が反応しているだけで、頭は起動していません。涙 なので、覚えて動いているのとは全く違います。体が勝手に反応するだけですから。   しかし、わたしは、振り覚えが早いタイプだと思われることが多いです。 困った。本当に困った。笑 たまにプレッシャーも感じます。   でもね、覚えられないんです。   仲間のいる時は、お願いして一緒に練習してもらう。 そして、一人でこもる時間も必要になる。   わたしの中に、スウィッチがあって、そのスウィッチが入るまでが大変。 なかなかスウィッチが入らない。 スウィッチが入るのもいつか分からない。 ビデオみても振りが入らない。 夜も寝れず、お腹も下し、ご飯も食べられず。。みたいな。   だから、クラスに来てくれている生徒さんを尊敬しています。 ちゃんと振りを覚えてすごいなって思います。 わたし、昔から、振りが覚えられない上に、自分独自のリズムの感覚があるようで、振り付け通りのカウントに合わせられないことがよくありました。 致命的。 だから、わたしの感覚を伝えるのも大変。 わたしのレッスンに来てくれる方たちは本当にすごいと思います。 昔のわたしは、振りをおぼえるのもおそく、人に隠れて、スポットライトにも当たらないように踊っていました。 だから、叱られることばかりでした。 タイミングもずれるし、せっかくスポットライトをもらってもそこから離れて踊る。笑 叱られて当たり前です。   目立ちたくなかった。 意味不明とよく言われます。笑   今は、少し成長しました。 振り覚えは、スウィッチが入ると、感情に近いエネルギーが体を流れ出し、体がスムーズに動くようになる。   そのスウィッチが入ると、今までのが嘘だったかのように全ての流れを体が理解している。 やっぱり、ここも頭ではなく、体が目覚める感覚。   でも、頭でないからこそ、気持ち良く踊りすぎて違うことをすることも多い。汗   っあれ? やっぱりこれって覚えていないってことか?!汗 (ごめんなさい。これってダメなことですよ。笑)   堂々と間違えるから、仲間が驚きます!笑   その反面、団体の空気や場の空気に合わせようとしすぎて、動きが小さくなってしまう時もあります。 極端すぎる。笑   でも、それを壊してくれるような助言をしてくれる人が現れることが多い。 「何を考え過ぎているの。何も考えず、自分を信じて自分らしく踊ればいい!」 その言葉にいつも支えられている。   最近は、その感覚がやっと掴めてきた。 そのままであればいい。 隠れる必要も前に出る必要も何もない。 このままいればいい。 わたしのまま踊れればいい。   不器用でいい、笑いたいのだから笑って過ごせばいい。 人と違っていい。みんな違っていい。   あの時、あのメンバーであの時間を過ごせて、本当に幸せだった。 アメリカの地が教えてくれたギフト。 そして、今回、一緒に過ごしてくれたメンバーは、わたしの忘れかけていた感覚を目覚めさせてくれた恩人となりました。   Masha

アメリカ公演での気付き その2

「学ぶこと・ステージを作り上げること」 何かを追求しはじめると、 学びが深まれば深まるほど、最初に感じた新鮮な発見心の感覚が薄れていくかもしれない。 何かを達成していけば、次の達成ばかりを目指し、初心が薄れるかもしれない。   今回のアメリカ公演は、学んできたことがどれだけ腑に落ちているか、自分がどこまで理解しているのかを確認できるとても良い機会でもありました。 いまいち、自分が本当に理解できているのかを確信しきれていなかった部分が、腑に落ちました。 おかげさまで初心を思い出せました。 自分の今までの学びの自信にも繋がりました。 一歩一歩歩めているのかもしれない!っと。     今回、チームとしてリハーサルを重ね、ステージで踊らせていただくのは、久しぶりのことでした。 私は、本番に起こるステージ上のハプニングが大好物です!笑 お互いをフォローしあう、気持ちを一緒に作り上げる。 アイコンタクトをしながら、一つの作品を作り上げる。   空間を分かち合う「楽しみ」。 胸にこみ上げてくる「喜び」。 時に溢れ出る感動の「涙」。 空気が止まる瞬間の「静寂」。 湧き出てくる「エネルギー」。   この感覚を味わっている時、わたしは、ココにいてココにいません。 わたしであり、わたしでない。 時があって、時がない。 「無」。   だから、ステージが終わった後には、もうその感覚を味わい切ることができない。 「なまもの」であり、「いきもの」。 その場だけのもの。   その感覚がわたしの中で強いから、普段の生活でも、いつも出し切ろうとするのだと思う。 今のこの時は、二度と戻ってこないから。。。 それが、わたしの生き方であり、不器用さでもある。 理解されにく感覚でもあることも分かっている。   全てはみんなと共に作り上げられている世界。 それぞれのいろんな気持ちのなかで作り上げられた、その時のそのメンバーでしかできない作品。   ほんっとうに楽しかった。 内臓がよじれるほど笑った。 涙流しながら、くっちゃくちゃになりながら、倒れこみながら笑った。 でも、内容は説明できない、話したところで何も面白くないから!笑   最高の時間だった。 こうやっていつもダンスが、たくさんの出会いや経験にわたしを導いてくれる。   幸せな人生の学びをさせていただいているなぁ。 Masha

アメリカ公演での気付き その1

「楽行」 今回、アメリカ公演に参加させて頂き、沢山の気付きを得ることができました。 3回くらいに分けて記録しようかな。と、思っています^^   観光など何もなかったので、アメリカという土地を感じることはできなかったけれど、、、笑 色々な気づきを考えると、アメリカでの場のエネルギーが与えてくれた賜物なのだと思う。   さて、 私は、すべてを心から楽しみたい!っという精神がかなり強い! そして、本当に心から楽しみます、昔から。   そうすることによって、ふざけていると思われることも、勿論あります。笑 そりゃそうです。そう思われて仕方ありません。 全力で楽しみますから。   私の腹筋は、「笑」によって鍛えられているのだと自信を持って言えます!笑   それによって、嫌な感情を抱く人もいるでしょう。 その気持ちを感じて、抑えたほうがいい!っと、頑張って抑える時もあります。   この世はバランスなのでしょう。 私に、「笑」が多い分、同じだけの「悲」も持ち合わせています。   アメリカへ行く前に、友達に、こんなことを言われました。 人にはいろんなタイプがある。 人生を「苦行」と思う人も勿論いるし、それでいい! でも、あなたは、「楽行」タイプじゃない? あなたが心底楽しむ・楽しみ切ることが、あなたらしい生き方かもしれないよ! 日本で「楽・ラク」というと、怠け者やふざけている?というイメージが強いかもしれない。 でも、それを貫いている人のお話が一般的になっていないだけでそういう人はいるよね。 楽しむというのは、苦しみや悲しみを感じないこととは違う! 楽しむことを、とことんやるために生きているんじゃない?   そんな大好きな仲間の言葉を胸にアメリカへ向かいました。   帰国後、他の友達が言っていました。 「悲しみ」の中に「喜び」があり、「喜び」の中に「悲しみ」がある。 「楽しみ」の中に「苦しみ」もあり、「苦しみ」の中に「楽しさ」がある。   これだったか! 私が、自分の思いをなかなか言葉に表せない!っと、苦しくなるのは、同時に持つ反対側の感情をも表したくなるからなのかもしれません。   今回、アメリカに入ってからの日々のリハーサルで、いろんな感覚が蘇った気がします。   まるで子供。 子供よりはしゃぎました。 すっかりいい大人なのに、叱られました。笑 へこみました。笑   へこんでいる時に、仲間が言ってくれました。 毎日、大笑いしながら生きていて、その中で一度くらい怒られたっていいじゃない。 怒られるのを我慢して笑わないのと、怒られて反省してまた笑う人生とどっちがいいの?   即答で「笑う」を選びます!笑   いつも、ワクワクしたい! 喜びも悲しみもワクワクしたい!   これがわたしの生き方なのだね。 Masha

インド古典舞踊が導いてくれること

こんにちは、Mashaです。 私のダンスのスタイルは、大きく分けて2つあります。   1、自分の表したい表現を想像する世界 2、インド古典舞踊という伝統を受け継いでいく世界   どちらも、簡単ではなくどちらも奥が深い。   一般的に、「インド古典舞踊」を選択すると、他のダンスはやらない方がいいと言われることが多いです。   これは、他のダンスを否定しているという意味ではなく、 伝統舞踊というものは、表現するものでありながらも、すべての動きの意味や型を受け継いでいく、そして、楽しむというより「学ぶ」「修行」という意味合いも深くあります。 そこにフォーカス出来る方が良いからだと思います。   型にハマれない私が、果たしてこの世界に飛び込んで良かったのか?   勿論、異端児です!   古典舞踊家になりたい!っと思って、一旦は、他のダンスをすべて止めて、インド古典舞踊の世界へ! とも思いました。   でも、、、 私には、できない。何も止めることができない。   自由な表現も古典の世界も。   これは、中途半端なのだろうか???   何度も考え・悩み・向き合い、、、今もですが。 もし、これが中途半端という形になるのであれば、、、と、古典舞踊の世界から身を引こうとすると。 古典舞踊の様々なお話がくる。   そしたら、古典舞踊に集中すべきなのでは?と、他のダンスを控えようとする。 と、いろんな提案が舞い込んでくる。   ここでいつも「純粋さ・謙虚さ」ということを学びます。   インドへ行った時もそうでした。 踊ることを目的として動く時、何も話が進まない。 でも、踊ることではなく、心の至福さに焦点が当たっていながら練習をしている時、 不思議といろんな奇跡が起きました。(舞踊のことだけでなく)     実は、わたしは人前で踊るよりも、こっそりと一人で踊っているのが1番好き。 これは、無意識のうちに 自分のエゴと向き合っているのかもしれません。 どんどん人前に出れば「エゴ」が出るという自分を1番知っているんだと思います。     唯一、私がする、「神への祈り」 それは、「私が舞踊に対する純粋さを忘れませんように、、、」 そう思う時、自然と涙がでてきます。 ということは、悲しいかな、、純粋でない時が多いのだろうなぁ。     古典舞踊が導いてくれること。 それは、厳しい決まりのなかにある「至福さ」や「真の自由」。 そこからでてくる「発想・想像」。   地球という中に生き、カラダという制限のある中で生きる。 その制限の中に「まこと」を知るのかもしれない。     Masha

アイソレーションと生き方

こんにちは、Mashaです。 わたしが学んできたダンスの練習の中で、とても役に立っているのが 「アイソレーション」。   カラダのパーツを別々に動かす。 何に役に立っているのか?!   もちろん、踊る時に!!! も、ある。笑   踊る時に、カラダのどこの部分が動いているのかが分かるととっても気持ちがいい。 あぁ~、この部分の筋肉・脂肪・神経・細胞・血液・エネルギーも一緒に踊っているなぁ~、、、   そしてもちろん、パーツパーツを動かしていても、 カラダは繋がっている。連動している。 ということは、自分のカラダの調和も感じ取る。   あぁ!!!カラダが楽しいね、気持ちいいね!! なんて、思いながら踊っている時もある。笑 そうするとその喜びの感情が表情に出ていたりする!笑   とってもマニアックな感覚かもしれないけれど。 最高の感覚。   このように、自分のカラダをコントロールしていく。 自分以外の人に自分のカラダの使い方は、コントロールできない。 自分で、自分のカラダを責任持ってコントロールする。 自分のカラダの仕組みを理解する。研究する。   みんな、それぞれに特徴の違うカラダ。 先生に言われたことが、100%自分のカラダにしっくりくるとは限らない。   試してみて、自分のカラダと対話する。 そして、自分自身を知っていく。 自分自身を受け入れて認めていく。   生き方と同じ。   「アイソレーション」を学び、自分の「生き方」と向き合う。   この果てしない学びは、一生続く。     ダンスが全てを教えてくれる。 わたしは、ダンスとであえて幸せだなぁ。   Masha

愛の眼差し

はじめまして、Mashaです!笑 いままでの文章を全て、コーディネーターあきえに委ねておりましたが、、、 わたくしも、少しづつ、書きたいことを書いていこうかと。。。 どうぞよろしくお願いいたします。     それでぃは、まいります。 わたしにとってダンスとは、人生であります。 ダンスにたくさんのことを教えていただいております。 一生の学び。   その学びの中での、心に刺さってとれない、いただいた言葉を。。。 ある巨匠よりいただいた大切な言霊   「マシャ、君はいつも、目が強く開いているよ。 なんでそんな目で踊るの? 目はね。。。 愛なんだよ。 愛の目で全てを見るんだよ。 愛の目で踊るんだよ。 優しくみてごらん。 そう、それでいいんだよ。」   目で、語るとは何なのか。。。   目で表現しようが、体で表現しようが、、、 ベースにある「愛」や「優しさ」。 これを忘れていては、そんな表現はできない。   頑張りすぎる時、心に余裕のない時、忙しい時、、、 心をなくしている時が多い。   その言葉をいただくまでのわたしは、ただ頑張って踊っていたんだなぁ。。。 カラダの表現を頑張っていたんだなぁ。。   ダンスというものは、その人の在り方がでる。 自分自身の在り方を見つめ直したいと、、、改めて思いました。